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2011/12/28-2012/1/2帰省

正月を滋賀で迎えるために帰省する。12/28の御荘発の夜行バスで梅田に向かう。私の席はいつも指定席で8Cを予約する。しかし、今回は後ろの9Cに予約している人があり、リクライニングシートを倒すには気兼ねがいるので、空いている8Bに移った。例によって酒の力を借りてぐっすり眠るべく乗るやいなや、ワンカップを飲み始めた。最近家で酒を飲んでないせいか酒が体に回るのも早く、リクライニングシートを140度近く倒し、すぐ酔っぱらって寝てしまった。気がついたときは神戸であった。梅田からは6:33発の新快速で草津まで行き、駅から家までは徒歩で7:40頃には家に着いた。すでに12/26(月)から次男のKEが静岡県の富士宮から帰省して、元気な様子であった。家には女房のためにインターネットで頼んだ腕を機械につっこむだけのカフを腕に巻かなくていい新商品の血圧計(オムロンHEM1010)が届いていた。また、私がインターネットのオークションで落札した御荘で使っているのと同じプリンター、イプソンA640が届いていた。早速、滋賀の家にあるコンピューターとプリンターを接続し、作動するかどうかを確認した。全く異常なくきれいに印刷もでき、もう一つの機能である、コピーも問題なくでき安堵した。このプリンターは本体と純正のインキ3種類がつき送料込みで約4000円と安く買うことができた。ちなみに、御荘においてある同じ機種のプリンターはインキ込みで1万円以上した。また、女房に買った血圧計も販売店から直接買ったが、定価が2万円以上だが、これも送料込みで、楽天のポイント500円分を使って9500円ほどであった。早速女房が計っていたが上の血圧が少々高いながら、使い勝手は調子よいという。プリンターを買った目的は元旦に届いた年賀状が、予め出していなかったところに出すためである。女房にサウナへ行こうと誘ったが乗ってこないので一人でチャリンコで南草津の極楽湯に行き、旅の疲れを癒す。帰りに翌日訪問する施設に入っている母親に来年のカレンダーと大きな字の計算機、S字状のものを引っかけるためのものを買い求めた。家に帰り、家で飼っているシーズ犬のナナをビデオカメラに収めた。これは後日、You Tubeにアップし、私のホームページに取り込む予定である。
30日は3男のKOの車で母親の施設に車で向かう。途中雪が舞う。この寒いのにカヌーの練習をしていた。。息子は同行することにあまり気が進まない様子であったがもう98歳になりボケも進み、後どれだけ生きられるかわからないのでビデオに収めておきたいと頼んだら案外素直に応じついてきてくれた。息子の名前を何度も聞くのでその都度教えるがすぐ忘れてしまい、再々聞いてくる。私の女房と弟の女房の名前の区別も付かない。息子を見てもう正月だからお年玉をあげなくちゃと言う。いくらあげたらいいと言うので100万円くらいかなと言うと、年金で暮らしている身でそんなお金はないと案外まともなことを言う。今日は何曜日かときくのが、こちらも会社を休んでいるのですぐに答えられず躊躇し私まで頭が変になったのかと心配になった。母親と応対しているところをビデオに収め、母親に又訪問することを約束し、女房から託された施設のスタッフの方にいつもお世話になっているお礼の品を渡し、施設を後にした。
帰る途中、空き家になっている南郷の家へいき、1階も、2階も窓を開け新鮮な空気を入れ換え、玄関の周囲をきれいにし家路についた。
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2011/10/12-16帰省

今回の滋賀への帰省は南郷中学校と石山小学校の同窓会出席のための帰省である。前回の帰省から御荘においてはアルコール類は一切飲まなかったが、夜行バスでの帰省にあたり素面で9時間も過ごすことはできないのでお酒の力を借りて爆睡し梅田までたどり着くことを願い、例によって酒とつまみを買い込み御荘午後8時50分発のバスに乗り込んだ。今回の酒の周りは速く、途中の宇和島に着いたのも知らず、翌朝梅田に着くまでほとんど記憶になかった。翌朝6時過ぎにに梅田に着き、快速電車に乗り換え7時40分までに、自宅にたどり着いた。犬のナナが玄関まで迎えに来て体全体をくねくねさして私を迎えてくれた。遅れて女房が扉から顔だけ出してお帰りという。15日の中学校の同窓会を琵琶湖ホテルで行われるので、今は兵庫県にいる幼なじみのMちゃんと大津駅で11時に待ち合わせて2人で歩いて湖岸にあるホテルまで10分ほど近況を話し合いながら歩いていった。あいにくの曇り空であったが何とか雨にも合わずホテルにたどりついた。ホテルの3階の前回と同じ瑠璃の間の前のロビーの受付に行くと今度の世話人の西連寺のKちゃん、ONO君、前回の世話人のTAさん、小学校の同窓のINOさんが待っていてくれた。前回に比べかなり人数が少なくなっていた。また、亡くなった人もわかっているだけで4人もなくなり、前回、ご出席いただいたI先生もなくなったとのことで、今回は一人も恩師の出席もなくちょっと寂しかった。Kちゃんの講話を傾聴し、その後、大津管弦楽楽団員の着物を着た40-50代の女性がひとりクラリネットの演奏をアンコールを含めて4曲ものサービスがあって開始の12時からかなり時間がたっておなかもぐうぐうなるほどおあずけをくった。また、食事の内容も男達は飲んで紛らわすので、べつに感じなかったが女性にとっては前回に比べるとかなりもの足りなっかった様子であった。まあ、参加人数も少なかったのでやもうえなかったのかもしれない。
会の終了後、INOちゃんの声かけで、小学校の同窓会を恩師のT先生を交えてTAさんのお店でやることになった。Mちゃんは息子が家に来るというので帰るのでMAちゃんの車でMIちゃん、と私が同乗し、大津駅でMちゃんをおろし、その足で石山駅の近くのT先生をお迎えに行き滋賀大学近くのお店に向かった。店にはすでに店のオーナーのTAさんやINOさん、TIさん、YASさんもいた。先生とは昨年小学校の同窓会でお会いしているので1年ぶりだだが全員が楽しいひとときを過ごした。その後、孫の運動会のために中学校の同窓会には出席できなかったNA君が入ってきた。いきなり店がわからなかったと怒り出す。みんなでなだめ会に加わって貰う。来年の小学校の同窓会はこのNA君が幹事なのでよろしく頼むとお願いし来年の再会をまつことにした。

2011/08/10帰省 (08/20)

8/10から8/15までお盆休みで滋賀に帰省した。今回は双子の片割れのKEも静岡から帰ってくるので久しぶり会えた。しかし、ときどき電話で話しているせいかそれほど会ってないような気がしない。到着初日は女房が愛してやまない宝塚だが、すでに退団している星組・安蘭けいに惚れ込んでいたが、そのお母さんと懇意にしていたが昨年なくなられ、そのお墓に行きたいというので同行した。そのお墓は京都の東福寺の近くにあるお寺で名前は万寿寺といい、門構えは禅宗のお寺らしく鐘つき堂のような堂々とした門で京都第二赤十字病院の道路を隔てたまえにあった。京都の檀家の寺としては敷地の広いお寺で庭もよく手入れがよく届いていた。
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玄関を開けると70代後半の上品な現ご住職のお母さんと思われる方が応対してくれて若奥さんが位牌の保管庫から佛さんの前まで持ってきてくれ、拝んだ後、また位牌を保管庫に納め、その保管庫までご案内いただいた。女房はよほど親しかったらしく涙を流して私には聞こえない声で口の中で何かをもごもごと話していた。
お参りを終え門の外へ出ると女房は胸のつかえがおりたかの如くさわやかな顔をして一言、一緒について来てくれてありがとうと言った。

2日目の8/12には眼鏡を買いに栗東駅の前のスーパー内にある三城にいった。長年眼鏡をかけているので眼鏡の重みで鼻が陥没したようで息もこころもちしにくくなったので、ガラスからプラスチックに買い換えることにした。眼鏡の枠を選ぼうとしたが最近のは従来のより横は変わらないが縦が半分ぐらいのものばかりであった。私がとまどい躊躇していると、店長が近寄り、今かけているのと同じようなものを出しましょうかといって出してくれた。度数は従来のモノでプラスチックをお願いした。前もここで買ったので、データベースが残っているらしく何も眼を検査せず8/13にできあがる旨、告げられた。

8/13はインターネットで探した中古車を見に行った。当初、新車を探していたがもう、何年も乗れないのに150万も出すのに躊躇した。ちょうど都合のよい車があったので出かけることにした。その車はトヨタのヴィッツで1000cc,平成16年型、4万km、車検も2年付いていた。応対してくれた方が内子出身でぶっちゃけこの車は買っていい物か問うたところ、買い換え車で自分も何回か乗ったが非常によい買い物だと勧めてくれたので即刻買うことにした。家に帰って女房に言うとそんなに急がなくてじっくり調べてからしたらよかったのにと小言をいわれたがそれほど怒った様子でもなくほっとした。
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8/14はkeの運転で大石鹿跳橋の近くの母親が入っている施設にいった。血色もよく、施設の方がよくしていただけるので元気な様子である。ただ昔のことはよくわかるが2~3分前のことがわからない。幸い私の名前はまだ覚えていてくれ安堵した。先ほど買ったおみやげを渡すと早速練習問題に取り組んでいた。食べる土産よりもこういうモノがうれしいと殊勝なことを言う。ひとしきり、近況を報告し帰路についた。





2011/04/27帰省

4/26の夜、御荘から20時50分発の夜行バスに乗り込んだ。2人だけすでにお客が乗ってられた。この日まで3週間ほど腹が出すぎて靴下をはくにもしんどいのでビールをはじめアルコール類はいっさい飲んでいなかったがやはり夜行バスとなるとアルコールの手助けを借りて全うしなければ過ごせない。つまみのお書きを口に放り投げながらちびりちびりとワンカップを口に運ぶ。いつもどおり国道56号の曲がりくねった道で前後左右に揺れるため胃に入ったアルコールがタップタップと揺れ動き胃の全表面から一気に吸収され血中濃度がじっとしているときよりも遙かに早く高くなるためか、すぐに眠たくなる。うとうとしつつかろうじて宇和島のバス停に着いたのに気がついた。それもつかの間に寝入ってしまった。途中夜中の3時頃、バスが大きく弾み大きな音を立てたので寝入っていたためソウとは気づかず、先の東北大震災以来、地震に過敏になっていて家にいて地震がきたと勘違いしてあわててたって薄暗いバスの中を数メートル走り、自分が寝ぼけていたことに気づき、苦笑いしながら自席に戻った。
朝、予定通り梅田に着き新快速に乗って草津で降り、自宅まで歩いて帰る。いつものように犬のナナがしっぽを振り振り体をくねくねさせながら迎えてくれる。散髪してもらって服を着せてもらっている。今日はこれから京都から岐阜の恵那峡へ一晩泊まりでバス旅行である。湯快リゾートといって和歌山の白浜、勝浦、岐阜の下呂、恵那峡、石川の片山津、粟津、山代などのちょっと経営が傾いた大きな温泉ホテルを買い取って年間を通じて7800円で利用できる。また、どこへ行くにもバスで往復3000円で利用できる。
今回もこれを利用した。京都10時30分発のバスに乗り込んだ。途中多賀サービスエリアで25分の休憩があった。
ここで弁当を買い込み再度乗り込む。

2010/12/29帰省

今年も年末から年始にかけて滋賀へ帰ることにした。予定では29日の夜行バスで御荘をたちまた、3日の夜行バスで帰ってくることにした。30日から寒気団がくるので1日前でよかったねとYAさんが労ってくれる。18時に勤務を終え、夕食を終え、滋賀にいるワン公のために予め買っておいた少し大きめの10cm位のジャコを4袋ほど鞄に詰めるともういっぱいになった。もう一つの鞄にはカメラと今晩にバスの中で飲む御神酒と酒の当てを詰め込む。
火の元、戸締まりを確認し、20時30分に家を出て歩いて僧都川を渡り、御荘警察署の近くのバス停へ向かった。
しばらくして梅田行きのバスが来たので乗り込むと一つ前の始発の城辺から乗り込んだ客が数人が前の方の席にかけていた。
いつも利用する所定の8Cの席に腰をすえるとすぐさまお酒を飲みだした。竹輪やおかきをかじりながら、窓のカーテンををあけ、外の暗闇の景色をみながら今どこを走っているか想像を巡らせていると案外酔いは回らず、まもなく岩松に着いた。ここから2人乗り込んできた。ここには以前、勤めていた津島店がありなつかしい夜景が浮かぶ。岩松川が今、走っている国道56号線に平行して流れているが一つの老朽化した橋の架け替えが行われていてほぼできあがっていた。ここを出発すると15分ほどで宇和島バスセンターに到着した。私の乗ったバスは宇和島バスの1号車であったが、ここからは阪神バスの2号バスが同行する。いつもは大阪へ向かうのは1台だけだが、年末、年始の旅行客の多いときだけ2台でるらしい。ここでも数人が乗り込み私の後ろの席も詰まってしまった。目がさえていたのはここまででバスが出発するときはぼんやり覚えているが走り出すと睡魔がおそい、窓のカーテンを閉め深い眠りについた。何度か背中が痛くて寝返りを打ったが、途中停車の三宮に着いたのも発車するのも気がつかず、梅田近くになって運転助手の方に肩をたたかれて起こされるまで全く気がつかないくらい爆睡した。時刻は6時前であった。
大阪に着いていつも思うことだが、変貌が激しいのに驚かされる。高層ビルが林立し、まるで山のようであり、道路が谷川のように見えるのは私だけだあろうか?
大阪6時23分発の快速電車に乗り込み、7時20分には草津駅に着いた。鞄は若干重かったが歩いて約20分の自宅に向かった。家に着くと、犬、女房、息子のkenとkouが出迎えてくれた。kenとは5月の連休以来の半年ぶりの再会である。彼は今、静岡県で働いている。
一時、休んだ後、栗東駅の近くの床屋に行き30日なのに比較的すいていてすぐ終わった。帰りにアルプラザで今日訪問予定の母親のために来年のカレンダーと小学3年生の国語の問題集を買う。
家に帰り、kouの運転で女房と一緒に大石の病院に入院している母親を訪ねる。途中私が卒業した石山小学校の隣にあるシャトレーゼという洋菓子屋によって看護婦さんに手みやげを買う。病院につくと患者が休憩室に集まっている。母親を見つけ昼食は済んだのかと問うと多分食べたと思うという。看護婦さんに尋ねると今終わったばかりという。母親はよく来たねとにこやかに挨拶をしてくれるが女房を誰かと聞くと弟の奥さんの名前を言う。それなら私は誰かと問うと弟の名前をいう。私が私の名前と女房の名前を教えるとああソウだったと話を合わせる。話の途中でもう一度私たちの名前を聞くと案外正確なこという。もうボケが進んでいてもう私も96歳だと何回もいう。ああそうかそうかと長生きできてよかったねと聞き流す。直前のことはあんまり覚えてないが女学生であった遠い昔のこととかはよく覚えている。前回訪問時に渡した折り紙で案外上手に兜をおっていた。今回渡した国語の問題集も興味をもって盛んに目を走らせていた。次回は算数の問題集を持って行こうと思う。指先が昔みたいに自由に動かないので文字も書きにくそうなので大きい字が書けるものでないと飽きが来て放り出してしまいそうなのでその点に心がけたい。
帰りに山手の所を通りかかると大粒の雪が降ってきた。途中南草津の駅前の極楽湯のサウナへ私だけが行くので下ろしてもらう。ここまで来ると雪が雨に変わっていた。女房たちはすぐ近くのスーパー平和堂によって食料をかって帰るという。銭湯はいつもと違って多くの人がもう休暇をとっているので結構混んでいた。
サウナに2回入り、湯船につかり雨模様の外を見ながら疲れた体を癒した。帰りは南草津からJRで草津に向かい、草津で王将の餃子2人前とビール、お酒各1本を食べ、飲み干し、帰りに持ち帰りの焼き餃子8人前を買い、ほろ酔い気分で歩いて自宅に向かった。
夜、酔いが醒めた頃、女房と2人の息子とともにkouの運転で草津駅前の近鉄百貨店の5階の赤坂飯店に行った。みんなそれぞれ好きなものを頼んだ。私はいつものようにピータンと紹興酒1合を頼む。ピータンは私は好物だが、女房は玉子の腐ったようなものはよう食べないといって一向に手をつけない。息子たちも右にならえといった案配である。
翌日の大晦日は朝から雪が降っており瞬く間に積もりだした。
大晦日といってもすでに女房や息子たちが家事を済ませており、私は何もするこがないので昨日につづいて南草津のサウナに行くことにした。この地ではかなりの大雪であったが自転車で草津駅に向かった。歩道は新雪で走りにくいので雪が解けている車に注意を払いながら車道を走った。風もきついので傘を差しながら自転車に乗ることはできないのでフード付きの裾の長い妻のジャンパーを借りた。草津に着く頃にはめがねに雪が積もり前が見えないくらいであった。電車は上下線とも15分ほど遅れて運転していた。南草津では駐車場を横切る際、遮断機のポールにしたたか頭をぶっつけた。通りを歩いていた女の子を連れた親子連れ3人があー危ないと注意してくれたが後の祭り、あとは雪で転ばないようにサウナへ向かう。ほうほうの体(てい)でやっと目的地に着いた。入浴料がいつもは550円なのに大晦日は13時までは360円の割引きであった。従って昨日よりももっと混んでいた。しかし、露天風呂は雪景色で寒いので露天風呂には入らなかったが中の湯船から見る雪景色は格別で、ここへ来るまでの疲れもいっぺんに吹っ飛んだ。
家に帰り、今晩は紅白歌合戦があるがあまり興味はない。午後9時からちょっと見た。いつもの小林幸子の奇抜な衣装だけに興味がある。今年も歌はたいしたことはなかったが、大きな羽ばたく鶴に乗った彼女の姿が瞼に焼き付いた。今年も6年連続で白組の男性陣が勝利した。
夜も更け除夜の鐘が鳴り出し、真夜中の12時を過ぎた頃、氏神様の菌(くさびら)神社にお参りにいく。女房は雪で足下が悪いので昼間に行くという。kenとkouの3人でお参りする。今回は犬のナナも連れて行かないことにした。お宮さんには数人の方がすでにこられていた。新年を迎えられた感謝、昨年の感謝、昨年の反省など68歳を迎え元気で居られることの感謝の祈りを捧げた。
いよいよ元旦である。年の初めの祝い膳を女房や息子たちが準備をする。私はお呼びでないので一人、朝刊を読みあさる。すごい厚さの新聞のページと、広告のチラシも半端な量でない。配達する人も重くてさぞ苦労したことだろう。早速、年末ジャンボの宝くじの番号あわせをする。10枚だけ女房に買っておいてもらった。当たったときの使い道を色々夢見ていたが毎年のごとく今年も泡のごとく一瞬で期待が消えてしまった。私の気持ちを女房に話すとせいぜい長生きしてくれと簡単にいなされた。
お膳の準備が整い、まず最初に私が神棚に灯明をつけ今年1年の抱負と家族みんなの安全祈願をする。つづいて息子たち、女房と続く。
全員机にそろい、女房や息子たちに日ごろの感謝の言葉をのべる。今まで社会人になってからは息子たちにお年玉は渡してないが今年はおもむろに懐から出して、息子たちや女房にも渡すとあり得ないといった驚きの表情で受け取った。早速中身の金額をみて、kenは旅費が浮いたと言って喜んでいる。kouは女房と一緒に住みいつも女房を病院へ連れて行ったり、買い物へ車で連れて行ったりして、日頃世話になっているが、いつも落ち着いていてあまり喜怒哀楽を表情に出さない。
女房はというと靴を買ったり、静岡に住むkenの所に雪をいただいた富士山をみがてら1泊どまりで行く旅費にするとかみんな勝手に使い道を話し合っている。喜んでもらって幸いである。また、女房からも息子たちにお年玉を渡している。私にはないのかとと問うとありませんと冷たくあしらわれる。
白みそで作ったお雑煮を祝う。お餅が沢山、入っている。おせち料理は女房自身が作ったものはわずかで、年々手抜きをして、お重箱(2段)も中身は全て梅の花で買いそろえたものである。以前は前の晩から張り切っておせち料理を作っていたのに今は変貌はなはだしい。時代が変わればなにもかも変わると合点し、おいしいおいしいといって息子が買ってくれた御神酒を片手に料理をついばんだ。
今日は雪が積もってなければ全員で伏見稲荷へお参りに行く行く予定だあったが道路の雪がまだ解けないので断念した。1日中どこへもいかず家の中に閉じこもった。外へ出たのは昼間、唯一、犬の散歩に出かけただけである。
正月2日は息子のkenが静岡に帰る日である。朝、お雑煮を祝って間なしに帰る準備を始めた。草津から快速電車で米原に出てそこから新幹線に乗り換えるとのことである。双子の片割れのkouが草津駅まで車で送っていった。この二人は非常に仲がいい。二人とも36歳で未だに独身である。早く所帯を固めて欲しいものである。私がこの年には3児の父親で上の子はすでに6歳になっていた。私の年始の願いの一つが彼らの結婚である。
寄る7時30分にkouにJR草津駅に車で送ってもらう。
20時30分頃大阪駅に着き、ヨドバシカメラに入ろうとしたら、閉店は20:00といってシャッターが閉まりかけていた。やむなく、バスが出る22時20分まで大部時間があるので、JR大阪駅の真向かいの阪急側へ渡り中華料理店でビールと焼きそばを頼む。量も味も物足らず近くの「うめや」という立ち飲みやでお酒2合と薫製のサーモン、じゃこおろし、おつけもの、焼きホッケなどで腹も満たした。この立ち飲み屋には団体で男の人達は多くいたが、若いビジネスウーマン風の方が一人で入ってきてびーるや何かを頼み、ビールを飲み干すとすぐにでていった。なかなか勇気のあるひとだなーと変なところで感心する。精算をし、22時前にバスセンターへ向かう。帰りもバスが2台来た。バスに乗り込むと直ちにアルコールの力を借りて夢心地で爆睡。途中、三ノ宮に止まったのも、東大洲、卯之町、吉田も気がつかず、宇和島に着く直前に目が覚めた。宇和島に着くと雨が降っていたので、御荘の液から歩いて家まで10分ほどかかるのでやばいなーと思っていたら御荘に着いたときは雨はやんでいた。家に着き15分ほどすると雨が降ってきた。タイミング良く家に帰ってきたことに満足。職場へのおみやげには息子がくれた土産のウナギパイと誰かが行って家にあったUNIVERSAL STUDIOS JAPAN(USJ)のチョコレート缶を持参した。

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