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2010/10/29女房来訪

東大洲にサツマイモとピーナッツの収穫するために10/29に行くことにした。女房も滋賀から掘り起こしに参加したいというのでJR伊予大洲で待ち合わせることにした。朝5時に起き、6時に滋賀の女房を電話で起こし、切符やお金を忘れぬよう言い含めた後、私は車で東大洲へ向け、出発した。台風が近づいていると言うが都合良く晴れた。6時30分頃、大洲の畑に到着した。草が某々でどこにサツマイモ芋畑があるか、ピーナツがあるかわからないくらいである。
サツマイモを掘り起こすためにまず、蔓を取り除く作業に入った。ところどころ、何か獣にやられたようで枯れた部分もある。女房用に一部を残し、4畝の蔓を取り除いた。
imo1029.jpg
部分的に、大きい物も入っていたが、去年に比べると半分くらいにの収穫であった。まあ、今年は途中で御荘に移ってしまい、管理もままならずやもうえないとおもってあきらめるしかない。女房もがっかりすることだろう。
ひととおり、サツマイモを起こしたところで、ピーナッツの掘り起こし作業に移った。ピーナッツの葉は青くて元気が良かったがところどころにピーナッツの食べかすがころがっており、掘り起こすと案の定、全く実が付いてない。全滅だ。残っているのは未熟な実ばかりでがっかりした。
隣の畑でカブの収穫作業をされているかたがいたので、気分直しに雑談をしにいった。夫婦2人で掘り起こしをされていた。その後、旦那が葉をおとしカブのヒゲ根を切り落とし、奥さんが葉っぱを箱につめていた。漬物屋に卸しているという。漬物屋の場合は1株いくらで割がいいが、スーパーはもってこいとさかんに言うがいっぱひとからげで1箱いくらで買いたたくので作りがないという。カブの皮をむき、葉を良く洗い、両方とも塩でもみ、洗った後、お酢とと砂糖を加えると美味しいおつけ物になるという。その言葉に載せられ1株いくらかというと30円という。1箱に詰めてもらい600円で買うことにした。少しおまけを入れておいたという。
kabu1029.jpg
その後、サツマイモも半乾きになったので箱に詰め始めたが、2箱にしかならない。1箱は滋賀に、もう1つは女房の親のいる京都宇治に宅急便で発送した後、久しぶりに東大洲店に行った。
Iさんは接客中で、Kさんが休憩中でいつものとおり元気がよい。IWさんは私が異動するときはまだ入社2ヵ月くらいだったが、今はもう慣れた様子で、ご主人が入院中にもかかわらず明るかった。聞くところによると、男性のM君も頼りになる存在に育っているとのこと。人は信頼して育つものと思う。
Dさん、結婚後、名前が変わってSIさんは昼からの勤務に備えて11時30分頃、やってきた。新婚さんで楽しく生活している様子で安心した。
新たに40歳くらいの男の方が新しく入られたようで、レジ作業をされていた。
店長も競争が激しく、大変なようだ。どこの店長も毎日、気が休まるヒマがなくかわいそう。
店で過ごしていると女房を迎える時間が来たのでJR大洲駅へ向かった。JRは遅れることもなく、午前11時56分に到着し、元気良く女房が降りてきた。昼飯を食べに行こうというと、天気がいいし弁当とお茶を買って畑で食べようという。駅前のスーパーバリューで買い求め畑に向かう。
日差しがきつく、隣の畑の川べりの竹藪で日差しが遮られたTさんが作ったベンチにかけて食事をすることにした。
食事をしていると運良くTさんが来た。缶コーヒーを2つくれる。私もお返しにパンとお茶をさし出す。Tさんに私のやっていた畑をついでもらうことになっている。Tさんは私の会社の松山で店長をやっているUさんのおじさんにあたる(Uさんのお母さんの弟にあたる)。
Tさんの畑は草もはやさず、野菜も元気良く育っている。キャベツを3つ収穫しいただいた。

残りのサツマイモを女房と一緒に収穫し、Tさんともなごりをおしみつつ御荘へ向かって東大洲をあとにした。途中、津島の道の駅と須の川で途中下車。津島ではタマネギの苗200株を買う。津島のてにゃわんやのお菓子を売っている本店で車を止めてくれと言われ、うっかり通り過ぎてしまい、女房はご機嫌斜め。
御荘に近い須の川の「ゆらり内海」の塩風呂を兼ね備えたサウナにはいるために途中下車をした。入浴料は1人400円。お風呂に入っていると程良い疲れで眠くなってきた。1時間ほどして出てくると、女房は早めに出て30分2000円でマッサージを受けて疲れがほぐれて気分が良いと調子がよい。
ここを出て20分のほどで御荘店に着き、サツマイモと女房のおみやげを届け、更にこちらで畑を世話していただいたF店長とF店長の奥さんのお母さん、および畑をかりているNさんにおみやげをとどけやっと自宅にたどりつく。
翌日の30日は大月町のコスモス園にいく。ここは海の近くの休耕田にコスモスを植えたもので甲子園の数倍の広大な敷地に白、ピンク、真紅の洪水でズーッと遠くまで咲き誇りまるで川の流れのようである。山の上は海の風を受けて何台もの風力発電用の大型風車が勢いよく回っている。
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大月町で目の保養をさせてもらい、帰る途中、急におなかの虫が騒ぎ出した。都合良く以前一度来た宿毛に向かって海側のサニーサイドパークに立ち寄った。ここに、活魚料理を食べさせてくれる「勝丸」という店がある。ここに飛び込み、女房はウニ丼、私は刺身定食を頼んだ。15cmほどの大きな「バフンウニ」を5つほど水槽から取り出し、その場で料理をしてくれる。丼からあふれんばかりのウニの大きさと多さで圧倒されてしまい、さすがのウニ好きな女房もちょっとたべてくれという。1つの大きさで今まで食べたウニの倍はあろうかと思われる大きさでびっくりした。刺身の鯛も水槽から取り出す際、バシャッ跳ね、他のお客にしぶきがかかり、従業員が謝っていた。刺身定食もさすがに新鮮でこりこりした良い味で満足した。満足度からするとウニ丼1500円、刺身定食900円は非常に安く感じた。
夜、女房と御荘店のHさんに紹介してもらった居酒屋Sへ15分ほど歩いて行く。やっとたどり着くと今日は土曜日で満席という。どれくらい待てばよいかというと閉店まで満席だという。残念だが、逆に言うとそれだけはやるのだから人気のある店だと悟り、即刻、明日、午後6時30分で予約を入れる。帰りに小僧寿しで晩飯を買う。
31日は女房が御荘滞在最後の3日目である。
朝から畑へ行く。津島で買ったタマネギの苗200本を植えるために、まず黒いマルチシートを敷き穴をあけて苗を植えるのだが2畝にマルチを敷き終わり、さあー穴をあけようと言う段取りのところで雨が降り出した。雨を避けて車に避難し、しばらく様子をうかがったがやみそうもないのであきらめて家に帰る。
帰りに私が勤める店に寄り、女房がこよなく愛する元宝塚トップスター「安蘭けい」を同じく御荘店のYさんも好きだと言うことを知り、OKAZさんに会い、一時話がしたいというので相手の迷惑をものともせず会いに行く。Yさんはきっと目を白黒させたことだろう、別れ際にパンフレットを渡していた。さぞかし、彼女にとっては迷惑な時間であったに違いない。
家に帰ると、F店長が出勤前に女房へおみやげだと行ってご丁寧にとどけてくれる。てんやわんやのお菓子がはいっており、昨日、女房が津島の本店で買いたいといって私がそこを通り過ぎてしまい腹を立てていたので何よりなものをいただいて異常な喜びようである。私も女房のご機嫌がなおり大助かりである。
お昼には御荘店のF女さんから紹介してもらった深浦漁港のなかにあるI食堂に行く。しかし、あいにく、数日前からの台風で海が荒れていたので、漁船が出航できず新鮮な魚がないという。
刺身は出せないがタタキならできるとのことで、私はタタキ、女房は焼きそばを頼んだ。食後、漁港の中を見たがタンクの中に数cmの稚魚が動いている他は、何もなかった。ちょうどそのとき漁船が1隻帰ってきて大きなポリタンクを下ろし、小さなサメをつまみ出していた。
夜はHさんにご紹介いただいた居酒屋「S」へ行った。昨夜はせっかく行ったのに満席だった。まず女房を車で送り、家に引き返し、自転車で再度、店へ向かった。着いたときにはまだ注文もとりにきてないという。ベルで呼ぶとすぐきたので数種類の料理とお酒を頼む。15分ほどたってからやっとつきだしと酒だけ持ってきた。料理がいくら立っても出てこないので再度,別のモノを注文する。やはり、注文はすぐとりにくるが一向に料理がでてこない。やっと出てきた料理も味はもうひとつで、もう、二度と行く気はしない。どうして流行っているのか私にはわからない。
翌日の宿毛発午前9時すぎの列車で滋賀へ女房が帰るので車で送っていき、引き返し、その足で会社に出勤する。




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2010/10/08帰省

御荘に転勤してから初めての帰省である。今回も定休2日に有給2日をとり往復夜行バスにした。家から僧都川を渡り、御荘の旧道のバス停まで徒歩で約10分くらいの所にある。夜8時50分に出発し、梅田に翌日の朝6時30分につく。ここからJR新快速で草津までいき徒歩で7時30分頃、家に着く予定である。10時間の長旅である。ヨーロッパへ行くのにも11時間で行けるのに、今時、日本は便利になったといってもこんなに不便なところがある。もし、高速の整備や鉄道が整備されておれば、3時間以内で大阪まで行ける距離である。思うのだが歴代四国は有名な政治家が出ているのになぜこんなに整備が遅れたのか不思議である。
たとえば吉田茂首相はお父さんが高知県宿毛出身で自分自身も高知県から衆議院に出ている(生まれは東京)。その他、ライオン宰相、高知県高知市出身濱口雄幸首相、香川県三豊郡出身の大平首相、徳島県阿波市(旧・御所村)出身の三木武夫首相、首相にはなってないが大物政治家の徳島県吉野川市出身の後藤田正晴など枚挙にいとまがない。なぜこんなに整備が遅れたのか不思議である。郷土愛よりも日本の行く末を優先した政治家ばかりだったのであろう。便利になるのは残念だが、あと、40~50年はかかるのではと思う。
さて、横道にそれたが帰省の話である。
バスは一つ手前の城辺が始発で、乗り込む前に乗務員に話しを聞くと平日の木曜日にもかかわらず満席だという。私のいつもの指定席の右窓側8Cの座席の後ろは初老のご婦人がすでに座られていた。例によって、ワンカップを取り出し、つまみをあてに飲み出した。こちらの国道は曲がりくねった海岸沿いを走るので左右によく揺れ酔いが早い。お酒がこぼれないように飲むのにも苦労する。飲み出して30分ほどで以前働いたこともある津島の岩松についた。しかし、宇和島に着く頃にはもう夢うつつであり、後ろの方に断り、リクライニングシートを倒し、夢路につく。7月まで勤務した東大洲到着はまったく気がつかなかった。
途中、背中が痛いので何度か寝返りを打ったが三宮に着くまで爆睡した。
大阪は帰るたびに様相が変わっている。駅舎の上に高層ビルを建築中でしかも、時刻の案内など日本語よりも英語が飛び交うのが多くヨーロッパのどこかの駅に立ち寄ったような感覚を覚える。しかも駅名の案内が変なイントネーションで発音するのでよけいに戸惑う。まあとにかく、戸惑いながらも草津に着き、てくてく自宅へ向かって歩いていくと女房が自宅近くで犬のナナを散歩させていた。この犬は13歳で白内障が進んでいて遠くは見えにくくなっている。しかし、耳はよく声にはよく反応する。名前を呼ぶと初めて気がついた。シーズだが近寄ると体全体で喜び体当たりしてきたのでよろめいた。まだ元気である。
今日は用事があって滋賀銀行へいった。子供名義(私がつくったもの)の通帳でキャッシュカードを使おうとしたら4から5人の行員にとりかこまれてビックリした。丁重だがものものしく鍵のかかる部屋に通されしばらく待たされた。一人が入ってきてこのカードは紛失届が出ているという。身分証明を確認したいとのことで免許証の提示を求められた。最近でここで窃盗事件があり、神経質になっているのだという。後で女房に聞くと、以前紛失届を出したような気がするという。慎重で個人の資産を守るという立場からするとありがたいがなんだか後味の悪い1日だった。
2日目の土曜日は雨であったが、石山に住んでいる弟夫婦とともに痴呆症になってしまい96歳の母親が居る病院を訪問した。予め、折り紙、色鉛筆、ノート、それに看護していただく方々におみやげを買っていった。母親は2年前までは元気だったが、大腿骨折し全身麻酔をしてから痴呆になってしまった。痴呆といっても以前のことはよく覚えており、私や弟の名前も顔もよくわかっている。
病院に到着するとお昼で全員が車椅子に乗って廊下や食堂でご飯を食べている。前にきたときは廊下にまであふれていなかったのに老人で同じような症状の方がかなり増えていた。若くてもダウン症のような方もいた。顔の表情でダウン症の方はすぐわかる。ヨーロッパの人もダウンの方は日本人と同じような表情なので不思議である。
私の母親は廊下で食事をしていたが大きなお椀にお粥と副食2皿を完食しているのには驚いた。よくきたとまともに応対してくれて安心した。部屋に戻り、土産を渡すと、昔若かりしころ、幼稚園で折り紙を教えていたので懐かしいといってくれた。頭と手の訓練のためにおみやげを持参したのであるがまともに喜んでくれた。
そこにいる間、一人でずーとしゃべりっぱなしである。以前の話はまともであるが直前の話がもーだめである。2から3分前に話したことをもう忘れている。ベッドにおいてあった人形は人にもらったと言うが誰にもらったか女か男かいつもらったかも思い出せない。弟によると1ヶ月前に息子と孫を連れてきたときにはなかったという。又、孫と会ったことも思い出せない。この人形はよほど気に入っているのか自分が欲しいといってないのに人からもらったと何度もくりかえす。20回ほども聞いただろうか。先ほど聞いたと言うことは治療上好くないと言うのでああそうかとなんども我慢して聞いてやる。又逆に本人が同じようなケースをわからずに話をするので始末が悪い。母親が言うには私はここに入院している人はみんな好い人ばかりで同じことを何度も繰り返し言うが話の途中で先ほど聞いたというと相手の方の性格を否定すると好くないので黙って聞いてやるという。
なんかこちらの私の方が見透かされているようで変な気分になってしまう。
そうかと思うと、本人を前にして、家にいると嫁さんに気兼ねするがこの病院は施設も看護士もよくできていて、話をきいてくれ、お風呂もいれてくれるし、ありがたいと1回だけでなく何度も言う。嫁さんも慣れたものでふんふん、そうかそうか、よかったねと軽く聞き流す。
さらには100歳までは生きると本人が宣言する。足も腫れてなく血色もいいのでさもありなんと思う。最後に足の爪を切ってあげて病院を後にした。石山駅まで弟に車で送ってもらい、JRで南草津で下車し、サウナにはいるために極楽湯に行く。母親の話を我慢強く聞いた疲れをいやすためとリフレッシュのためにサウナに入り気持ちよい汗を流し、出て銭湯附属の食堂で生ビールでのどを潤し、家路につく。
3日目は以前私たちが住み、一時長男が住んでいた南郷の家は彼が今年3月に引っ越して以来、空き家になっている。5月にいちどシルバーセンターに外回りの掃除をお願いしたがその後さわっていないので、女房と息子のKOとで草を引きにいくことにした。その前に、息子の車で、日頃女房が懇意にしている元宝塚トップスター安蘭けいのお母さんの入院先から電話が朝かかってきたので途中立ち寄った後、瀬田の日曜ショップのアヤハで除草剤、さらに南郷の小僧寿し、ドアラグストアーユタカに立ち寄った後、目的地の家に到着する。ここは最近近くが分譲地が開発され売り出し中になっており、以前と大分様変わりしていた。予想していたとおり、草がかなり茂っていた。特に笹がはびこっていたのには驚いた。女房は家の中の掃除を担当し、KOと私は外の雑草を刈り始めた。途中、一度にわか雨が降ったが11時頃から3時頃まで、途中1時間のお昼休憩をとり、なんとか仕事は終えた。その間、以前につきあいのあった、ootaさん、okamotoさん、hiraoさん、umedaさんなどと立ち話をする。仕事を終えて、南郷中学の方から赤川を経て家に帰ることにした。途中、不動産屋があったので、係りの人は若い人であった。借家あるいは売り家の相談をすると一度みたいというので、また引き返す。ひととおりみて、あまり治すところはないのでクリーニングすればいいとのこと。後日連絡をするとのことで分かれる。夜、3人で近鉄百貨店の5Fの中華料理赤坂飯店にいきおいしい食事と心地よいお酒を楽しんだ。
4日目は女房の弟の娘(姪にあたる)の結婚式が京都南禅寺の麓の料亭で行われるために女房と、息子のKOの3人で出席した。朝8時に出発し京都駅からタクシーで目的地に着くと同時に、女房の父と母が乗った車が着くのと同時であった。義母は足腰が弱り、車いすでの移動である。義父、義母とも口は達者で頭も明晰だが耳が遠くなったので耳元で大きな声で話さないと通じない。しかし、聞かれて都合の悪いことは聞こえることがあるらしい。周りの物にとっては少し扱いにくい2人である。
料亭であるため、庭園や家の作りはバリアーフリーは全く考慮してなく、車いすでまず玄関先から室内に入り休憩室にたどるまでもが一苦労であった。トイレも車いすのことは全く顧慮していない。また、庭園で記念写真を撮るとのことでまた外に出てさらに谷あり、山ありの趣向を凝らした庭園での写真取りの場所への移動も男数人がかりで大変であった。義母自身もこれらの移動だけで体に変調をきたすことになった。また、私たちにとっても控え室での畳の部屋に座るのが苦痛であった。結婚式はやはり、私たち年寄りも多く参加するのでこのような会場は避け、ホテルのようなバリアフリーでしかも椅子席にするようこころがけないと後味の悪いこととなる。
また、最近の結婚式も変わっている。人前(ひとまえ)結婚式といって、神主も、仲人もいなくて式次第の進行係にしたがって、2人が誓いの言葉をのべるだけである。あとは披露宴でにぎやかに(やかましく?)2人の生い立ちやゲームをビデオでガチャ、ガチャやっている。耳の悪い義母にも耳障りになったのかあるいは、それまでの移動騒ぎに疲れ果てたのか宴会の半ばで気分を悪くしたがなんと終わるまで耐えてくれた。
宴がおわり、義父母のタクシーを見送った後、我々も早々に退散した。夜、梅田発10時20分発の夜行バスで御荘に向かい、翌日朝7時20分に御荘に着く。今日12日火曜日は出勤日です。

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