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2012/03/28帰省

4月の中旬に帰省するつもりであったが、父方の叔母が98歳でなくなったため急遽、3月28日(水)から4/1(日)まで休暇をとり帰省することにした。高速バスのチケットはあらかじめ取ってあったが、このために変更することにした。滋賀へは車で大洲へ向かい、大洲からJRで帰り、復路は初めて宇和島バスではなく、ウイラーエクスプレス高速バスで大洲まで帰ることにした。
大洲から帰省することにした理由のひとつは宇和島と宇和間が高速でつながってまだ通ってないこと、2つ目はETCを積載しているのに未だに一度も利用したことがないこと、3つ目は大洲から出ているバスが全国チェーンの高速バスで非常に安いことからである。
帰省初日(3/28)は快晴、朝7時に自宅を車で出発した。途中、ETCを通るときトラブらないか不安であったので後続車がないことを確認してからそろりそろりと通過した。幸いスムーズに通過し安心した。1時間20分後に大洲に着き、前もって頼んでおいた当店の駐車場に滑り込んだ。1年半前まで勤めていたこともあり何かなつかしい。店にはいると私が移動するとき産休に入っていたFUさんと女性のSIさんがいた。ほかの知りあいの方は午後出勤か休暇とのことであった。おみやげの東山イモ干しイモを届けしばし談笑した後、10時30発のJR特急に乗り、松山、岡山、新大阪で乗り換え4時頃、家に着き喪服に着替え、すぐに石山寺辺町の叔母宅へ急行した。
私の弟をはじめ、いとこたちも全員そろっていた。久しぶりに会った従兄弟で喪主のTOちゃん(多分75歳)にお悔やみと遅くなったことをお詫びした後、奥さんのMIさんに同様にお詫びした。彼女は中年になってから目がほとんど見えなくなって苦労されている。そのため手を取って、握手する形で挨拶をした。お二人の息子のIKは県庁に勤め今は県立成人病センターに在職するが小さい頃の印象が強いが今は非常に頼もしく、彼が父親に変わりかいがいしく頼もしく、走り回っていた。また、お通夜のご会葬の後の親族の挨拶はIKが心のこもった形で述べたことにも感心した。
この日はお通夜は田舎のことであり、自宅で盛大にとりおこなわれた。これはTOちゃんの強い願望で叔母が長らく呆けて施設に入っていたので、せめて長年住み慣れた自宅からお見送りしたいとのことで決まったとのこと。夜、西連寺の住職(こちらでは、ぼんさんという、また彼は私と同学年で小学校、中学、高校が同じである)が言っていたが先代の住職からお寺を預かって、5、6年になるが自宅からお見送りするのは最初の2,3回だけで最近は広い施設の葬儀センターで行われるのでこのような昔通りの形式は懐かしく、見送られる人にとってもよいことであろうとの感想を述べられていた。
叔母は叔父が49歳でなくなった時、まだ40歳前後で、TOちゃんもまだ中学生であったと思う。一人で一人息子を立派に育て上げ、息子も親思いで、叔母も大往生であった。私も小さい頃は戦後間もない頃で、百姓をしていた叔母や叔父にお風呂を使わせてもらったり、野菜をもらったり、口では言い表せないほどお世話になった。
翌日(3/29)は快晴で本葬の日である。両日とも天気がよく、昨日の夜は冷えたが今日は暖かい。昨夜に懲りて用意した懐炉は使わずじまいであった。この日は今神戸に住んでいる幼なじみもお参りにきたので再会した。このところ毎年小学校や中学校の同窓会で顔は合わせている会うと幼い頃が思い出されていろいろ話し合い懐かしい。彼は勉強のしすぎか目が不自由で乗り物に乗ったり降りたりするのは不自由なさそうだがあまり遠くが見えないようである。私の顔も恐らくぼんやり年か見えてないようである。
次々と町内の方や会社関係の方たちがご焼香に現れ、お坊さんが3人こられ,長い読経がつづく。読経が続く中、途中から親族から始まり会葬者が焼香をする全員の焼香が終わると、喪主のTOちゃんから挨拶があった。地域の方々に長年お世話になったことなどのお礼の挨拶であった。その後、お棺のふたが開けられ、叔母との最後のお別れであった。ふくよかなお顔に控えめな化粧がほどこされていて、眠っていて、不思議にも今にも起きてきそうな血色であった。程なく、霊柩車が到着し、我々、親族がお棺を座敷から庭を横切り車まで担いだ。これから火葬所に向かうのだが、霊柩車を最前列にタクシーが数台続き、最後にKIちゃん(TOちゃんと同学年)の運転の自家用車が最後尾で私と私の家内、従兄弟のYOさんの計4人が便乗した。隊列を組んで移動し、離れると道路の待避できるところで全車が待っていてくれ全車が同時に、火葬場に到着した。大津市膳所の高台にあり、琵琶湖が一望できる見晴らしがよいところであった。天気がよく、桜の開花には少し早かったが目の保養になった。大きな扉のある中に遺体が安置され、お坊さんの読経が続く中、ご焼香し、お棺が開けられ、最終で最後のお別れをした。帰りもKIちゃんの車でもどることになり、女房は途中、石山駅で降ろしてもらいほかのものは全員、叔母の家に引き返した。その後、私とKIちゃんは会葬案内をはずしに車で向かった。もともと、KIちゃんが貼っていたので場所はわかれるがいずれもかゆいところに届くような気配りされたところが選ばれていた。感謝感謝。
親族、関係者およびお坊さんが近くの料亭、洗心寮までマイクロバスで移動し、会食した後、散会した。
翌日(3/30)は快晴であり女房の実家へ2人で行った。平日のため私の息子は勤務のため、タクシーで草津駅まで行き、JR草津から京都に向かい、近鉄に乗り換え、大久保で下車した。昔と違って立体駅になっており、ホームは2階にあった。いつも車で行くのですごく様変わりしていて、女房もおどろいていた。駅からはタクシーで向かい、10分ほどで目的の実家に着いた。
 電話しても2人とも耳が遠くて話しづらいので、何の連絡もせず訪問したので突然の訪問で驚いていた。2人とも口は達者だが足と耳が元気がなくなってきた。ご両人ともベットぐらしであまり歩きたがらない。行ったときちょうど介護の女の方がこられており、義母が静かにお風呂に入れてもらっていた。ついで義父が風呂にいれてもらうときはもうひとり女の方がこられた。義母は静かだったが義父は介護の方をいじめられている犬がごとくいたって騒々しい。もっと丁寧にやれとかそこをさわったら痛いとか、何度言ったらわかるのかとかえらく命令口調で元、憲兵殿はのたまう。風呂から上がってきて服を着るのも1から10まで手助けしてもらっているのにその下着は長すぎるとか、はかす順序が違うとか言いたい放題である。介助の方もなれたもので赤子をさとすがごとく聞き流している。私が同じ立場なら一回でもう降参である。介助の仕事の大変さをかいま見たとともに、今の日本の現状を思い知った。義母は義父に対しては口が達者なのでぼろくそに切り捨てるが、他の人には常識を保っている。義父は毎日、小言を言われそのうっぷんが第三者へ向けられているのかもしれない。まだ呆けてはいないが呆けてしまったら始末に負えないのではないかと今から案じる次第である。女房の弟夫婦が近所に住んでいて、弟の奥さんが毎日面倒をみてくれているが、大変なことと思う。一生懸命尽くしても日がな2人のご老体はベッド生活なので紛らすものがなく愚痴となって返ってくる。人の振り見て我がふり直せである。私もいつまでも健康に注意し、誰に対しても感謝の気持ちを忘れないように心がけたいものである。
翌日の土曜日(3/31)はあいにく雨であったが大津市の施設に入っている私の母親の見舞いに女房と一緒に訪問。母親はここ数日お腹の具合が悪く、意気消沈していた様子。しかし、我々がいくと口がなめらかになり、相変わらず、ここは居心地がよく嫁に気兼ねすることなく過ごせてありがたいとか、ここの施設の人はみんな親切でありがたいとか、1~2分前に言ったことを何度も繰り返して言う。まるで反復するテープを回しているようである。そのくせ私や女房の名前を聞くとちゃんと答える。本当に母親の頭の中はどうなっているのか不思議である。そうこうしているうちに、葬儀のおり、弟と本日一緒に訪問することを打ち合わせていたら弟も奥さんと一緒に来てくれた。患者には飲食物は直接渡さないように指示されていたので、介護の方には手みやげを用意してきたがそのような理由で母親には用意しなかった。弟は行った日の翌日はちょうど母親の98歳の誕生日で小さいケーキを用意してくれていた。呆けていてもわかるようで喜んでいた。5人でひとしきり話をした後、先に我々が病院を後にした。来るときと逆でバスで石山駅に戻り、JRで草津に戻り、草津で遅い昼食をとった後、タクシーで帰宅した。
帰省最後の日(4/1)は今晩の夜行バスで御荘に戻り、その足で出勤するので、体力を蓄えるためにおとなしくしているつもりであったが、貧乏性の私はじっとしておれず、自転車で南草津のサウナに入りに行くことにした。ちゃりんこで約30分の距離である。日曜日であったためかなり老若男女で混んでいた。汗を流すために2回ほどサウナに入り体重も400gほど落とし、さっぱりした気分で銭湯をあとにした。帰る途中、久しぶりに餃子の王将に寄り、餃子2人前、キムチビンビール1本、紹興酒1合を頼み久しぶりの懐かしい味に堪能した。御荘ではお酒類は飲んでないので回りがはやく、ほろ酔い気分で帰宅した。
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まとめteみた.【2012/03/28帰省】

4月の中旬に帰省するつもりであったが、父方の叔母が98歳でなくなったため急遽、3月28日(水)から4/1(にした。高速バスのチケットはあらかじめ取ってあったが、このために変更することにした。滋賀へは車で大洲へ向かい、大洲からJRで帰り、復路は初めて宇和島バスでは?...
2012-04-16 18:45 | まとめwoネタ速suru

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